葉月 (一章)


金曜の22:00になると、彼女は現れる

背中の大きく開いた藍色のドレスに、鷲のタトゥーの瞳が妖しく光っていた
踝(くるぶし)までの長いスカートには、腰のあたりまで入ったスリット
どうやら下着は着けていないらしい

華奢なピンヒールの音を立て、巻髪を揺らせば
この店の誰もが彼女に注目した


カウンターに腰掛けると、馴れ馴れしく「ハヅキ、」と名前を呼んで隣に座って来た男がいた
そういえば彼は、先週の週末に見事彼女を連れ去った、ラッキーな男だ

「甘ったるい酒を。彼女の身もココロも蕩けさせるヤツをね」
男が酒を注文すると、愛想のない日本人のバーテンは、彼女のいつもの食前酒
ラムインコークを作り始めた


黒人音楽の流れるこの場所は、華やぐ六本木通りから少し外れたところにある
10代の女の子や軽薄な日本人男が入れるような雰囲気はない
彼女にとってそれが心地良い場所であった


長身の、やはり黒い男が片言の日本語で彼女に声を掛けて来た
それを隣の男が制した
彼女は長身の男に優しく笑いかけ― それはまるで慈悲深いマリアのようでもあった


彼女が酒を飲み干すと、黒人男は彼女の腰に手を廻し
フロアに連れ出した

DJは彼女が現れたのを察して、曲を変えた
黒く、激しい曲を


しなやかに彼女の四肢が動く
まるで男女のメイクラヴを思わせるセクシーさがあった
そんな彼女からは、とても日本人とは思えない匂いがする

踊る彼女に周りの男の視線が絡み付いた

「ハヅキはどこでそんなダンスを覚えたんだい?」
男が訊くと
「これでもN・Yで踊ってた頃もあるのよ。オフオフだけどね」
彼女が小さく笑った


立て続けに3、4曲踊った頃には
色んな男が彼女にダンスのパートナーを申し出て来た
相変わらず男はそれを制した

舌打ちして軽く罵り、カウンターへ戻る男達を
男は優越感に浸った笑みを浮かべ見送った

今夜ハヅキを独占するのはこの僕さ
まるで、そう言っているかのように


曲が途切れた
男は息を切らせた「ハヅキ」の腰に手を廻し、やや強引に店の奥のバスルームに連れ去った
フロア中の男達の羨望の眼差しを背中に感じながら


そこは特殊な匂いがする
男の汗と、体液の匂いで満ちていた
彼女は、この匂いが嫌いではない
2つ隣の扉の向こうからは、男と女の愛し合う声が漏れていた


男は狭い扉の奥に彼女を連れ込むと、背後から彼女を抱き寄せ
翼を広げる背中の鷲に、優しく口付けた

「彫ったのか?」
「まさか、ペィンティング」

厚い唇が愛おしそうに鷲の翼をなぞり、深いスリットの中に黒く太い指を滑り込ませる
しっとり汗ばんだ白い脚にその指が絡みつくと
身体を弄る男の体臭に酔いながら、彼女はそれを待っていたかのように瞳を閉じた

腿の付け根に指が到達したとき、男が囁いた
「下着も着けないで…悪い子だ。こんなになって、ドレスを汚してしまってるんじゃないのかい」

彼女はそれに返答ぜず、代わりに男の指にびくりと身体を反応させた


黒く太い男の指が彼女の生暖かい身体の中に、ずるりと入っていった
何の抵抗もない
彼女の眉間に皺が寄り、苦痛に耐えるように薄い唇を噛み締めた

そんな彼女の横顔が堪らなく愛しく、厚い唇をうなじから首筋へ、そして唇へ移動させ
中指の先を小刻みに動かして見せる
その度に身体がビクビク痙攣する
彼女の意思とは関係なく

細い両足が体重を支えきれなくなって膝が落ちそうになった
彼女を悦ばせているほうの手とは別の、華奢なウエストに廻された太い腕が
彼女の体重を支えた


僕だけが、彼女を悦ばせることの出来るたったひとりの男さ

男はそんな錯覚めいた思いを抱き、更に激しく中指を動かし始めた
既に彼女の内腿は、その付け根から流れ出る液体で汚れ
重ね合わされた男の唇を噛んで声を殺した

「声を上げていいんだよ」
興奮して上擦った男の言葉に、彼女は小さく首を振って拒絶した


「じゃぁ、我慢するんだよ」
汗で貼りついた長い絹のスカートを捲り上げると、白く締ったウエストに両手を掛けた


くっ…

声が漏れる
それは彼女の声ではなく
男の声だった

彼女の狭い入り口が黒人男のそれを全て呑み込んだ時、2つ隣の扉の向こうから
絶頂を迎えた女の、声を殺した
子猫の鳴き叫ぶような声が聞こえた

「ああハヅキ、」
堪らないと言うような声を漏らし、男が動き出す

「我慢しろと言ったのは誰?」
そんな少し意地悪な囁き声などお構いなしに、男は言葉を続けた

「ああ…、こんなにはすっぱで、上等の女を僕は知らない。ハヅキ以外には」

男は息を乱しながら、ウエストに掛けた両手に力を込めた
もう逃さない
この女を何処にもやるまい


男は奥歯を噛み締め目を固く閉じ、彼女の甘い肉体に酔いしれた
流暢な日本語を話す彼も、そんな時は母国のことば…呻き声が漏れる

代わりに、固く閉じられた彼女の瞳が虚ろに開いていった
その眼差しの先に見ていたものは
汚れた灰色の壁に下品な言葉で書かれた、アートとも言えぬ落書きであった

その落書きを見つめていると
男が狂ったように激しく動き出した


両手で腰を強く掴まれ、逃れることの出来ない彼女は
汚れた壁に両手をつき、黒人男の為すがままになる他なかった
この強引さが彼女の心に火をつける

もっと、もっと縛り付けて

もっと、もっと、私を罵って


まだ、

まだよ、


まだ、まだ、




ウエストを掴む両手に更に力が込もり

男が上擦った声で、彼女の名前を2、3度呼んだ




男の激しい動きが止まる


男の口から、感嘆の声とも言えぬ溜息が零れた


彼女の身体から彼自身を抜き取ることなく
背後から、華奢な日本人女を抱き寄せ

「I love you」
何度も彼女の名前とその言葉を繰り返した


聞き慣れた「I love you」も、嫌いじゃない


男の乱れた呼吸が整い出した頃、彼女はまた瞳を閉じて
子供のように自分の胸元に縋り付く男の頬を、優しくなぞった

それは聖母のようでもあった
僅かに、憂いを秘めた…



黒人霊歌、静かな音楽が聴こえてきた

自分自身のものだか男のものだか分からない液体が腿を伝って
脚の先まで流れ落ちる

遠くに聴こえるレクイエムの清らかな心地良さに
彼女目を閉じたまま、その唄を低い声で口ずさんだ


狭い個室は、男のきつい体液の匂いで満ちていた


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