葉月 (終章)


男は振り返って、突然意を決したように彼女を抱きしめた

廻された腕に力が込もっていて、ぎこちない、そんな感じがした

互いの頬と頬が接触する

暫くそのままの状態が続いた
彼は固く目を閉じたまま



「ごめんなさい」

腕に込めた力を緩めることなく言った
暫くこのままでいいですか、と言っているようでもあった

「どうして謝るの、」

相変わらず彼は黙って目を閉じたままだった



長い、長い沈黙
接触した頬

互いの吐息さえ感じる距離

それは
ほんの少し向き合えば、互いの唇が触れる距離


彼女が僅かばかりリードすれば、口づけと言う行為もしくはそれ以上に至ることは容易だろう
しかし彼女は男の腕の中で、借り物の猫のように動けなくなっていた


何故?

キスなんて、数え切れないほど経験して来たはずなのに



そんな時、腕に込められた力がより一層強くなった
互いの頬も強く接触され、口角の端と端が、触れた


もう僅かで、この唇が届くのに

そんなもどかしさを感じながら、唇の全神経で彼の吐息を感じていた



僅かに彼が動いた
おそらく、動いたのはほんの僅か


二人の鼓動が、重なり合って

止まった


彼の吐息で濡れた唇が
重ねられた瞬間であった

待ち焦がれた瞬間の突然の到来と繊細で柔らかなその感触に
脳下垂体に痺れが走った


ぎこちなく、彼の唇が動く
全身の感覚を全てそこに集中させ、彼女はそれを受け止める


その痺れにも似た感覚が唇から身体の局部、脚のつま先にまで及ぶ
今、身体のどの部分に触れられても
彼女は子猫のような鳴き声を漏らすであろう


お願い

身体を触って

その手でこの身体を触ってお願い


彼女の悲鳴のごとく願いは言葉になることはなく
彼の唇を受け止めながら、切なく待ち焦がれるだけだった


僅かに唇が離れた
おそるおそる目を開けると、至近距離の彼の目を見た


「ほんとに、いいんですか?」

待ち望んだ問い掛けに、彼女は彼の背中に腕を廻して答えた


壊れ物を扱うかのように優しく、彼女をソファーに横たわらせる
店の奥の小窓からは、朝の日差しが差し込んで揺れていた


彼の手が、彼女のバストの膨らみに触れた
それだけの行為に、彼女は鳴き声を上げた


膨らみを包み込んだ手が幾度か上下に往復した後、上着に手を掛け捲りあげられた
彼女の乳房が朝の光の中で露わになる
それを、恥かしい、彼女はそう感じた


私の身体は、綺麗?
沢山の男の手で汚された、この身体は酷くくはない?

男の前で己の裸を曝して、そんな風に感じたのは初めてかもしれない
彼女はいつの時も自信たっぷりに、男達にその身体を魅せ付けてきたのだから


彼の舌先が、その露わにされた先端を這う
彼女の鳴き声は一層激しくなった

そして彼の手が、下半身の男物の衣服の中に忍び込んだ
彼女はぎゅっと唇を噛み締め、空を泳ぐ右手はソファーの端を強く握りしめた

「葉月さん、すごい…」


感嘆にもにた男の言葉が辱めの言葉にさえ感じ
彼女は小さくかぶりを振った


「もう、ダメですよ」

そう言って男は彼女の下半身の衣服を引き剥がした


「お願い、見ないで」

彼女の懇願に答えることなく、溢れ出た液体を指に絡ませ優しくなぞった
それが敏感な部分にまで触れた
彼女の身体が一度大きく反応する

「イヤ、イヤ」

そんな言葉とは裏腹に、男の指先が往復する度
彼女の身体は小刻みに震え、密度のある液体が溢れ出る

恥かしい

今まで沢山の男にさせてきた行為がこんなにも恥かしい
それでも淫らに反応するこの身体は…なんて卑しいのだろう


「葉月さん、綺麗だ…」

男は上体を重ね、彼女を優しく抱き締めた
そして、左手で自分の下半身の衣服を脱ぐと―


彼女の目を見つめたまま

ゆっくりと重なり合った



彼女は泣いた

どうしてだかは分からない
涙が溢れ、頬を伝った


彼女の右手に彼の左手が重ねられ、彼女は溺れた者が助けを求めるように
その繋がれた右手を握り締めた

彼女の切ない鳴き声と男の息遣いが重なり合い
静かな店内の中に響き渡った




**

店の扉を開けると
すっかり夜も明けた朝の空気で満ちていた

頬をかすめた風が、彼女の生まれた季節の訪れを予感させる

眩しさに目を細め、俯いたままの彼女は―
そっと、彼の左手に右手を重ねた

ウエストに廻された手より、こんな風に繋がり合った左手のほうが心地良い


「何か食べますか?」
男に尋ねれ、嬉しそうに小さく頷いた


彼女の恋は、今始まったばかりだ


― Fin ―


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